コミュニティマネージャーの役割を誰が行なうのか?

本拠地について書き綴る中で、コミュニティに属していても縛りがない。という話をしてきた。

>>コミュニティの意味を知る

そうなってくると難しいのが「どこまでを役割とするか」という線引である。

コミュニティマネージャーの役割

コミュニティマネージャーは、オンライン・オフラインどちらにも関わり、コミュニティをが円滑に継続できるように調整する役割を持つ。

メディアの発達により、どんな職種でも販売提供の他にソーシャル・メディア関連の役職が重要視されるようになった。

ライターを雇ったり一般のインフルエンサーなどに外注を行う企業も増えてきた。

その時に、重要性を増すのがコミュニティマネージャーである。

実際に米国ではコミュニティマネージャーの募集が増えているらしい。

米ソーシャルメディア調査会社のアルティメーターグループのアナリストであるエレミヤ・オーヤン氏が、コミュニティマネージャーに求められる資質について以下のようにまとめている。

コミュニティの推奨者
コミュニティマネージャーは、ユーザーを代表していること。ユーザーの声をよく聞き、ユーザーの要求やニーズに応え、個人としても企業人としても双方で関わっていくこと。

ブランドの伝道者
コミュニティマネージャーは、商品やサービスを、従来型のマーケティングと協議によって販売促進をしていく役割を担う。ブランドの信頼を高めるためには、コミュニティマネージャーが信頼されていることが望ましい。

コミュニケーションと編集の技術
コミュニティマネージャーは、あらゆるコミュニケーションツールを熟知していなくてはならない。また、コミュニティ内の専門用語や俗語も深く理解しているべきである。なぜなら、関係がこじれたときには仲介役となり、特に問題を起こす者に適切に対応することが求められるから。

コミュニティの声を集める
ネット社会においては、短時間でフィードバックを求める消費者が多いので、コミュニティの声を集めて商品開発やサービスの改善にすぐ反映させられる資質が求められます。

これは社内社外に限らず、あらゆる場面で必要だという。

現在に満足せず、新しい変化を求める上でコミュニティマネージャーの役割は大きい。

コミュニティを活発にする方法は本などでもたくさん紹介されているが、それでもできて無くなっていく集まり、居場所は多くある。

実際に、惜しまれて消えていく姿を沢山目にしてきた。

最近コミュニティ運営の養成講座なども出てきているので、そういう需要があるのだろう。

自分でコントロールする必要性

自営業など自分で仕事をしている方は特に、常に関わりのパワーバランスに注意する必要がある。

縛りがない、ということは自由であるが、その代わり自分が管理コントロールする必要があるからだ。

パンフレット

体調管理は自己責任。

やらなくてはいけないことと、体の調子と自分で調節しながら動く。

いくら思いで集まるメンバーだとしても、時間が経過するにつれて関わり方にばらつきが出てくる。

顧客になったりメンバーになったり、応援者になったり支援者になったり立ち位置は変わる。

自らがコミュニティマネージャーになる

この、関わり方をコントロールしマネジメントしていくということはRPGのゲームと共通点があって、目の前の敵を倒すことばかり気にしていると目的地までの時間配分、自分や周りの体力や保存食の確認など怠ってしまいそもそも旅が続けられなくなってしまう。

現実世界でも、好きなことを仕事にすると時間の区切りなくいつまでののめり込んでしまったり他が疎かになったりして動けなくなってから後悔することは多々ある。

犬

管理する難しさ

自分で全て管理するというのは意外と難しいものだ。

時間でしっかり区切って、やることを渡される方が楽なのかもしれない。

どこまでが仕事なのか、趣味なのか、プライベートなのかを決めるのは誰でもない自分自身だ。

また、一方的な依存ではなくそれぞれが自立した上で良くなっていくにはどうしたら良いのかという、成長する覚悟も必要になる。

誰か一人が管理するのであれば、それはリーダーとほぼほぼ同じで、規律に従って活動するだけの集団になってしまう。

そうではなくて、自分で関わっているという意思。

それを共有するのがコミュニティデザインで、手法が様々でてきても変わらない大元の根っこのこと。

つながるコミュニティづくりには、そういった設計を見せていく事が必要なのだと思う。

受けるばかりではなく時には断ることも、辞める決断をすることも必要で、それによってコミュニティ内の人間関係が崩れたり壊れたり、つながりが無くなったりするのは冷たい言い方かもしれないが「欲で繋がっていただけ」なのだという証明になるだろう。

水戸の先駆者が行っていたこと

水戸では斉昭公が「一張一弛」という思想を持って偕楽園や弘道館を作ったと言われているがまさにそれのこと。

人は張り詰めてばかりでは良いパフォーマンスが生まれない。

逆に緩みっぱなしでもいけない。

張り詰めたり緩めたり、そのバランスが大事なのだと。

梅

そして、「彰往考来」という考え方。

過去を見据え、経験を積み重ねてそれを知る、調査することで知識を増やし、常に学びの姿勢をとることができ、未来につなげることができる。

そのバランスを体験しながら気づける。学べるという意味では、本拠地はみんなにとっての大きな実験場なのかもしれない。

本拠地は単なるコワーキングスペースではなく、そういったスキルを学べる研修の場ともいえるのかもしれない。

コミュニティの意味を知る

コミュニティという言葉の意味を、ご存知だろうか。

英語ではcommunity、和訳すると共同体、地域社会を意味する。

1一定の地域に居住し、共属感情を持つ人々の集団。地域 社会。共同体。 2アメリカの社会学者マキヴァー(Robert M. MacIver1882~1970)の設定した社会集団の類型。個人を全面的に吸収する社会集団。家族・村落など。 3群集2に 同じ。

出典元:『広辞苑』

コミュニティの意味を知る

これは会社勤めの方にも言えることかもしれないが、ある程度規模が大きくなってくると人の集まりが固定化し、だんだんその輪の中にいることが快適になってくる。

それが、共属感情というものなのかもしれない。

最初、輪に入るのに自分のテリトリーを作るのに必死だったとしてもいずれそこに馴染んできて居心地が良くなってくると、変わらないことに安心してしまう。

現状維持といいながら、それの状態は維持ではなく衰退である。

地域活性の要はコミュニティの世代交代

商店街が衰退している、というのは店舗の高齢化、店主の高齢化、それに伴って常連さんの足もどんどん年齢とともに遠のいていくという現状がある。

コミュニティも、長い間活動していくと年代の差が出てくる。

世代が変わると生活も変わり、価値観も変わってくる。

コミュニティ

地縁ということばがあるが、これとコミュニティは似ていて地縁は自治会など土地に付くもの。

そこを離れてしまえば自然と輪から離れていくのだけど、本拠地が目指すものは場所につくものではなく「思い」につくものにしたい。

その時に、土地=店舗に固定しないようにコミュニティの世代交代や風通しの良い空気感がどうしても必要になってくる。

ある種の世襲。

コミュニティの年長者の存在意義は、思いの共感を伝えることに注力し、意見の押し付けや強制が行われないように調整していく役目なのではないだろうか。

一番長く見てきたからこそ、俯瞰しコミュニティを機能させ活発にするために智慧を授ける。

そこをいくと、本拠地のある仲通りはには仲通り町内会会長という顔の広いドンがいて、そこにあぐらをかくでもなく、常に面白いことや新しいことを仕掛けようとウズウズしている。

との

個々が盛り上がることももちろん必要なのだけど、商店街ならではの連帯感は独特なものがあって、防犯にも繋がるし地域とのコミュニケーション、人との繋がりも生まれてくる。

単なる商売の繋がりではなくなり、この人がいれば、という安心感につながり、それが世代間を繋ぐものになる。

コミュニティの継続は共属に限らない

共属感情は必ずしも良いものではないと思う。

属していなくても思いの共有があれば、人が参加し集団になればそれが地域のようになり、大きなうねりを持つ。

コミュニティの意味である「共同」は必ずしも時間の共有だけではない。

ただ集団の中にいるからではなく、離れていても思いが繋がっているかのほうが重要になってくる。

共属と依存は似ている

本拠地もある程度人の輪が広がってきてこれから気をつけなくてはいけないのが、依存しすぎないこと。

本拠地を利用する方だけでなく、管理人側も気をつけなくてはいけないことだ。

その人が本拠地に関わるボリュームを調節する必要がある。

特定の人との関わりの時間が多すぎると、それは依存の関係になってしまう。

サービスが過剰になると共依存になり、それはお互いを活かすどころか劣化を引き起こす。

一般的な会社でも、繁盛期や過疎期には働き方が変化するし、仕事の負荷も変化していくだろう。

それを、集団に属し組織の中にいるからと強制的に行っていては、お互いにストレスを抱えて思いの共有がなされなくなる。

そうなると、コミュニティはもう形を保てなくなり崩壊する。

コミュニティは個人の力が試される

個人を高めるためのチャンス、体験になるように、双方が相互して良くなっていくための説明や話し合いをきちんと設けること。

もし、意見の相違がある時は共通する部分を見つける努力をしたり、お互いが関心を持ち尊重していく事が大事になってくるのだと思う。

時にはその安心したコミュニティーをでて挑戦することも必要だし、個人を高めるために勉強も経験も体験も、それぞれ自分から進んで選択して目的を持ち、意識して学びを続ける必要がある。

与えられるのを待っていては何も起こらない。

ゲームのように、突然「勇者よ、旅に出るのです」なんて親切なお告げはやってこないのだ。

稽古

そういう意味では、本拠地には縛りがなく、強制もない。

最低限の利用規約のみで動いている。

レールがないので不安になったり、何をしていいかわからない人ももしかしたら本拠地に主に出入りしている特定のメンバーの中ではいるのかもしれない。

本拠地は、究極のチャレンジ&コミュニティースペース。

水戸でも最近コワーキングスペースが連立し、検索すると近くにもたくさんのコワーキングスペースが見つかる。

その中でもコミュニティスペースを兼ねているので、本拠地の1FコワーキングはフリーWi-Fiが使えてSNSシェアすると誰でも無料で使うことができる。

他に比べて本拠地は少し異質なのかもしれないが、だからこそ多世代の情報が行き来するように活動をしている。

地域もそうだが、活発なところは変化、進化の風を取り入れながら上手に上昇している。

逆にいうと、指示がないと動けない、変化を嫌うようなタイプには本拠地は合わないのかもしれないし、そもそも来ようという意思も起きないのかもしれない。

フリーランスの人も多く集まってくる。

RPG風、という時点で「わからない」と言われてしまうことも多々あるし、なんでこんな居酒屋が立ち並ぶ中にあるの?と言われることも多いが、ここだからこそ本拠地は生きてくる。

ライオン

人と人、地域と店舗、多世代の交流、街と街。

ハブになるための土台は、1年かかってようやく、歩いてもぬかるみに足を取られないくらい固まってきている。

コミュニティ形成と自己実現は比例していく

本拠地には「これをしなくてはいけない」という強制的なものは存在しない。

今は毎週日替わりで曜日担当者が来てくれているが、その日やってほしい作業的なことは伝え、時間内の動きについては規定がない。

今回は本拠地での動き方について書いていこうと思う。

主体的に動くには自分で評価する強さが必要

時間や業務で縛らないという形態は、通常の会社とは真逆な働き方ではあるけれど、それをすることによって「本拠地を盛り上げる」という責任というか連帯感というか、そう言ったものが自然に生まれてくると思っている。

やらされごとではなく自分の使命として関わると、プライベートの時に自然と話しに出てきたり、紹介が起きたり、口コミが起きたりと、こちらが想像する以上の嬉しいことが自然と起こってくるから不思議なものだ。

裏通りメンバー

たまに、管理人以上に管理人のような役割を担う人も現れる。

自分のお店ではないのに、まるで自分のことのように心配したり手をかけたり、テコ入れしたり愛情を注いでくれるのをみると不思議な感覚になる。

「どうしてそこまで思ってくれるんだろう」と考えると、やっぱり本拠地は「期待と不安」が集まるからなのだと思う。

自立とは変える意思を持つこと

本拠地が他のコワーキング、シェアスペースと違うのは、カウンセリングという位置づけに近いからかもしれない。

困ったときの相談所。

人は、困ったどうしようというときなかなか人には言えなかったりする。

友人ではその後の人間関係が崩れてしまうのではないかとか、嫌われてしまうのではないかとか、受けれてもらえるかを考えてしまう。

また、仕事とプライベートを分けているとさらに打ち明けられる人は限られる。

困ったときの最後の手段は家族で、大帝のことは家族は受け入れてくれるけど気持ちは外に向かっている。

社会の中にいてもいいという安心感を持ちたい。

そう言った時に、意外と困りごとや不安を言えるところは少ない。

本拠地は自己実現したい人の基地になる

運営活動をするにあたっては居心地の良さというものは気をつけていて(居心地=綺麗さではない)モヤモヤしていたり、何かやりたいけどどうしていいかわからないという人にとっては本拠地は「基地」になる。

人の心理として、衣食住が満たされると次は誰かに認めて欲しいとか認められたい、求められたいという欲求が生まれてくるけどそれは一人では達成できない。

これはよく言われるマズローの欲求で表される。

マズロー

社会的欲求までに達すると、その対象は誰でもいいわけではなくてある程度自分に関わりがある人やジャンルが似ている人になり、その達成感はさらに高まる。

尊厳欲求まで満たされるからなのかもしれない。

さらにいうと、本拠地を通して活動するにあたって気をつけているリーダー像というものがある。

前にも少し書いたかもしれないが、本拠地はトップが輝きそれに惹かれて人が集まるというスタイルのコミュニティの形を取っていない。

>>コミュニティの運営にリーダーシップは必要か

圧倒的なリーダーシップ。

もちろん、何か活動するにはリーダーは必要だけど究極リーダーは思念でもいい。

それをもとにそれぞれが考え、動き、成長してまた違う輪が繋がっていく。

そんなコミュニティや団体は見たことがない。

だからこそ作りたい。やってみたい。

>>形のないコミュニティをゆるく続ける作り方について

自由と不安は隣り合わせ

規定がなく自由だ。
ということは、不安や責任といった重くのしかかってくる重圧も選択するということ。

自分がやったことは自分が責任を持つ。

それは当たり前のことだけど、大企業や会社に入ると「会社がなんとかしてくれる」意識が出てきてしまい「自由=責任放棄」が強くなる。

でも本来、自由を手にするにはその責任を自分が持つもの。

自由を選択する覚悟。

覚悟という時はどちらも「さとる」と読むが、仏教用語でいう覚悟は迷いを去り、道理をさとることとある。

諦めたり観念したりという意味の覚悟ではなくて、真理を見据えて智慧を得るのが覚悟。

それは持とうとして持てるものではなく、じっくり自分と向き合っていくことで自然と芽生えてくるものだと思っている。

だから本拠地では情報だけ押し付けたり、外から圧迫したりということは極力せず参加するかしないかは本人の判断に委ねている。

参加しないから仲間ではないとか、そういったカテゴリー分別をしない。

メンバーではあるけど、そこに強制力はないのだ。

本拠地ギルドは人材バンクであり、本拠地は基地であり、講座は知識の習得、体験の場所である。

誰かについていかなくても、自分を軸にして動けるような人を増やす。

成功しても失敗しても誰かに責任を求めない。

評価できる人になる。

本拠地に「自由な人」が多いと言われるのは、そういった思いがベースにあるからなのだと思う。

エンパワメントコミュニティで成長し広がる活動にする

本拠地は究極のチャレンジ&コミュニティスペースだという話は前にしたと思うので、それを踏まえて今回は活動の話をしていきたいと思う。

まだ見てない方はこちらからどうぞ。

>>形のないコミュニティをゆるく続ける作り方について

本拠地に求められているもの

本拠地にはさまざまな人がやってくる。

何かを成し遂げた人、あるいは何かやりたくてワクワクしている人だけではない。

できないことを抱えて前に進めない人もいる。

また、本当はできる力があるのに自信が持てなくて、自分の「できる」に気づかずにいる人もいる。

出来る呪文

最初はそんな悩みは口に出さず、興味のあるイベントや企画に参加するために本拠地にやって来る方が多いのだが、段々と顔を合わせていくうちに「実は・・・」と悩みを打ち明けてくれる。

なりたいと願うことでなれない自分に気づく

本拠地ではいくつかのプロジェクトが動いていて、例えば

例えば、そんなプロジェクトに参加して実践し、様々な価値観や経験、視点を持つ人達と話すことで良くも悪くも気づきがある。

自分では普通にやっていることが「それすごいことだよ!」と言われて初めて自分の才能に気づいたり、あるいは出来ないなりにやりながら「できる」に変えていくことも出来る。

逆に、どうしてもできないことは誰かに頼むことで、その分自分の時間を作ることも出来る。

一人で出来ることには限りがある

どうしても、一人で全てやらなくてはいけないと思ってしまいがちだけど人間はそこまでハイスペックではない。

抱えきれる範囲は人それぞれで、広く浅くスピーディーにできる人、狭く深く、その代わりに猛烈な熱量で進んで行く人など様々いる。

相互支援

自分の得意と不得意に気づくことができて、それが誰かと合致したら歯車は回り始める。

今はどうだろうか。

自分がやらなくても良いことを必死に頑張ったり、こうでなくてはいけない、ここまでやれなくてはいけないと努力の方向が違っているような気がしている。

人は凸凹しているから、違うから人が手をつなげるのであって同じであれば単なる足し算であって成長はない。

かける事によって、0になったり100になったり変化が起こる。

組織の在り方の一つの方法として、コミュニティエンパワメントというキーワードがある。

エンパワメントとは、元気にすること、力を引き出すこと、きずなを育むこと、そして共感に基づいたネットワーク化です。
当事者や当事者グループが、十分な情報に基づき意思決定し行動できるよう、サポートしたり環境整備することがエンパワメントです。和訳は、きずな育む力(絆育力)、活き活き生きる力(活生力)、共に創りあげる力(共創力)、などがあります。

エンパワメントの原則は下記の8点です。
(1) 目標を当事者が選択する。
(2) 主導権と決定権を当事者が持つ。
(3) 問題点と解決策を当事者が考える。
(4) 新たな学びと、より力をつける機会として当事者が失敗や成功を分析する。
(5) 行動変容のために内的な強化因子を当事者と専門職の両者で発見し、それを増強する。
(6) 問題解決の過程に当事者の参加を促し、個人の責任を高める。
(7) 問題解決の過程を支えるネットワークと資源を充実させる。
(8) 当事者のウエルビーイングに対する意欲を高める。

出典元:エンパワメントとは

エンパワメントコミュニティとは、もともとは医療など保健サービスにおいて、当事者の支援をどのようにしていくかという研究の中で提案されたコミュニティづくりなのだが、いかに「主体」性を持って各自が関わるかによって、例えば行政まで動かしていくような活発な組織を作ることが出来る。

日々の活動において保健師は,地域づくりにつなげるために,健康づくりグループの立ち上げや,地域内のグループ同士をつなげる支援,行政他部門との連携など,多様な活動を展開している。しかし,現場では,住民組織活動の停滞や力をもつ住民とのつきあい方に悩み,地域づくりに困難を感じている保健師も多いように思う。一方で,地域づくりの先進地では,住民自らが地域の課題を認識し,その解決のために行動をしている。このような地域や住民の状態をあらわす概念に,コミュニティエンパワメントがある。コミュニティエンパワメントの概念は,地域で住民主体の活動を推進し,地域社会の変容をめざす保健師に多くのヒントを与えるだろう。

引用元:コミュニティエンパワメントと保健師活動

大本の考え方としては看護分野における活動を維持する手法の一つなのだが、これは地域に置き換えても同様のことが言えると思っている。

どうしても、コミュニティは出来上がっては衰退する。

そのなかでメンバーがテーマの共有を持ち、評価をし、コミュニティの鼓動をうち、関わる意義を明確にして成果ではなく過程に焦点をあてるのがエンパワメント。

これは、体系化するとどんなコミュニティにも適応できる。

所属しないコミュニティの必要性

前の記事にも書いたリーダー不在のコミュニティづくり。

>>コミュニティの運営にリーダーシップは必要か

自ら課題を設定し、評価を他人に委ねない。

主体的に関わることで、成長する。

これは、従来のコミュニティのように何かに所属しないと動けないという人には向かないかもしれない。

最初の先導や思いの普及には広告塔となるリーダーは必要だが、それを継続したり維持したりするのには個人それぞれを高める必要がある。

先にあげた本拠地で動いているプロジェクトへの関わり方については、強制はしていない。

活動していく上で、月によって、日によって、生活スタイルの変化によってかけられるパワーバランスもその都度変化していくし、それは本拠地を運営する私たちだって同じ。

カウンター

ただ、場を提供したり人の支援をする側としては多少無理だってするときもあるけど、それは結局好きでやっているので、私たちと同じようにやらなくちゃいけないというわけではない。

できる人ができる時にできる事。

得意と不得意をつなげて、出来るに変えるのが本拠地コミュニティの役割だ。

女性と男性の関わり方の違い

チャレンジする場や機会は作るけど、それに乗るか乗らないかは人それぞれ。

ただ、飛躍的に成長していく人はそう言ったチャンスには真っ先に乗り込んで行き、その分失敗もたくさん経験するけどきちんとそれを糧にしていく。

男性と女性それぞれ、本拠地に期待することは違う。

女性は、社会との繋がりや成功経験を積むために。男性は、会社以外での活躍の場、スキルのアップによってより権威性を持つために本拠地に関わり、活動する。

その自己実現の先には、究極の欲求であるという「自己超越」がある。

それは、金銭や自己承認といった欲を超える慈愛の精神。誰かの欲を満たしたり、自分の欲を満たしたり、そういう次元を超えた想い。

本拠地は究極のチャレンジ&コミュニティ。

ここに関わることでその域まで成長することができたら、そんな人たちが行き交う街になったら「助け合いの精神」恩送りが普通になるのではないかと思っている。

コミュニティをゆるく続ける作り方

本拠地という不思議なお店が、茨城県は水戸市泉町という水戸の繁華街大工町に隣接する場所に存在する。

仲通りにあるちょっと変わったコミュニティスペース

「一品」と書かれた大きな門看板が特徴の仲通り。

夜になると赤提灯がならび、その灯りにつられてパラパラと人が集まり賑やかな声が響きあう。

昼は通勤で通り過ぎるだけという静かな通りだったが、2018年頃からコーヒー屋さんや雑貨屋さんなどが開店し10代20代の若い世代の人たちもやってくるようになった。

水戸に住んでいても「仲通りってどこにあるの?」と聞かれるくらいローカルなのだけど、一度訪れてみると誰もが「この雰囲気すてき!こんなところ知らなかったなんて!」というほど、昭和と平成がうまく共存したまま残っている仲通り。

RPG風コミュニティスペースの外観

その仲通りのちょうど真ん中あたりに、白壁の小さなお店がある。

まず目につくのは大きな木の車輪。

少し朽ち果てていて、どこかヨーロッパ的な雰囲気を感じさせる。

両脇にはまだ若さを感じる鉢植え。

そして、正面左側には手書きの黒板と、入口の上には大きな白いライトがついていて、どこか民族を感じさせるのれん。

RPG風コミュニティスペースの内装

中に入ると、そこは居酒屋の作りそのままに一階は6席ほどの長椅子で作られたカウンターがあり、奥に二階へ続く階段がある。

壁沿いの本たちを横目に小さな階段を上ると、そこは二部屋あって、手前側が囲炉裏のある会合スペース。奥の部屋はフローリングで施術ベッドがおいてある。

濃い木目の板と、白壁と、古びた障子と昭和の磨りガラス。

ここだけ時が止まったかのような、静かな空間。

植物

一見、居酒屋みたいだけど本拠地では飲食物は提供しない。
持ち込み推奨としている。

なぜなら、仲通りは飲み屋街。

昼間はランチをやっているお店も通りにもあるし、少し足を延ばすと昔ながらのお店があったり新しいお店が増えていたり、車では気づかないようなところも歩くと見つけられる。

車だと一方通行だったり、駐車場を気にしたりして通り過ぎてしまうところでも自分の足だと気軽に入ることができるし、喫茶店や雑貨屋さんが昼間営業しているので最近では若い方の姿も多くなってきた。

もちろん、夜は言うまでもなくお酒を交わすところなので仕事終わり、19時をすぎるとポツリポツリ人が増え始めるのだ。

本拠地の提供するもの

本拠地は一階と二階あり、それぞれサービスが分かれている。

本拠地1Fはコワーキングスペース

本拠地の1Fはコワーキングスペースと銘打ってあるが、1日の利用料は300円。

さらに、SNSなどのシェアで利用料はタダ。

このシェアで、ありがたいことに市外はおろか、県外からわざわざやってくるという方もいる。

本拠地2Fはシェアスペース

2Fのシェアスペースは本拠地ギルドという人材バンクに登録しているメンバーたちが、ワークショップや講座を行うシェアスペースとして1時間500円で利用ができる。

日々、様々な企画が開催されている。

>>本拠地で開催される訓練所開講予定

一体どこで儲けているの?とよく聞かれるが、本当の目的は、ワークスペースの提供ではなくてコミュニティへの参加にある。

本拠地はサービス業で、形のないコミュニティというものを作り提供している。

コミュニティスペースの醍醐味

ドラクエ3に出てくるルイーダの酒場のように「〇〇したい!」という目的がある人へは仲間の紹介、情報の提供。または、幻想水滸伝に出てくる、戦には参加しないけど108星として集まった普通のおじちゃんおばちゃん。

資格じゃない、経験が誰かの助けになることもあるし、自分では普通だと思っていることが誰かにとって欲しい能力だったりする。

ラテアート

男だけ、女だけ、30代だけ、60代だけ、という同じ属性だけのグループは楽チンかもしれない。でも、安心はできても発展は望めない。

どうしても新しい視野を持ちづらくなるし、違うという意見を受け入れづらくなる。

違いに気づき、お互い学び合う関係。

それが本拠地が提供する「コミュニティ」だ。

見えない繋がりを維持していく難しさ

コミュティは作ろうとして作れるものではなく、作るだけは誰でも出来るがそれを維持するのは非常に難しい。

つくるのは簡単だけど、長く続けるのは単純にモチベーションだけではもたない。

同じような空気感の人たちや好きな人同士が自然と集まり、様々形を変えながらも根っこは変わらず、人が出たり入ったりを繰り返し、それが建物に付き「コミュニティスペース」になるのだと思う。

新しいコミュニティの作り方と在り方

最近ではたくさんのリーダーが現れて、どんどんコミュニティが作られ、くっついたり離れたり分解したりと忙しいように見える。

それはビジネス業界でも多く、やはり発言力がある人気のある人のところにファンが集まり、コミュニティが形成される。

少し前までは圧倒的なリーダーがいてそこで人を集めるセミナーやサービスに付随したコミュニティが多かったように思う。

最近はどうだろうか。

傾向として、好きな人同士がつながる出入り口が広いものが好まれているように思う。

本拠地が目指す空気圧の低いコミュニティとは

本拠地が目指すのもそこで、意識の高いコミュティで切磋琢磨高め合うのではなくて、空気圧の低いコミュニティ。

体調、ライフスタイル、家族の在り方・・・

時間の使い方や環境が違う中で、同じモチベーションで同じスタイルで参加することは不可能だと思っている。

同じカテゴリーに属し、周りに気を配り、みんなと同じようには非常に疲れる。

これから必要となってくるのは、「出来る人ができる時に出来ることを」持ち寄って参加できる空気圧の低い居場所づくりだと思う。

ぐっと距離が近いコミュニティが好きな方もいるかもしれないが、ただの馴れ合いにならない距離感は非常に重要だと思うようになってきた。

例えば、本拠地コミュニティへの参加へかける割合が10%の人、90%の人、今月は40%だけど来月は50%という人がいたっていいじゃないか。

それを強制してしまうと、窮屈で参加しづらくなる。

何にしてもそうだけど、やらされごとほど億劫なものはない。

と、本拠地は考える。

もし、これを読んでどんなところなのか気になったなら、ちょっとの勇気を持って本拠地を訪れてみて欲しい。

いつきても変わらない、ゆるやかなコミュニティがそこにある。