エンパワメントコミュニティで成長し広がる活動にする
本拠地は究極のチャレンジ&コミュニティスペースだという話は前にしたと思うので、それを踏まえて今回は活動の話をしていきたいと思う。
まだ見てない方はこちらからどうぞ。
本拠地に求められているもの
本拠地にはさまざまな人がやってくる。
何かを成し遂げた人、あるいは何かやりたくてワクワクしている人だけではない。
できないことを抱えて前に進めない人もいる。
また、本当はできる力があるのに自信が持てなくて、自分の「できる」に気づかずにいる人もいる。
最初はそんな悩みは口に出さず、興味のあるイベントや企画に参加するために本拠地にやって来る方が多いのだが、段々と顔を合わせていくうちに「実は・・・」と悩みを打ち明けてくれる。
なりたいと願うことでなれない自分に気づく
本拠地ではいくつかのプロジェクトが動いていて、例えば
- 「なりたい自分へ1%でも近づくことを目的としたードリプラx劇団」
- 「捨てられてしまう昔の着物をリメイクして新しい命を芽吹かせるーオシャもんぺ」
- 「民話を辿り新しい観点で地域を見直すー星の航海士」
- 「発達障害の生きづらさを沢山の人に知ってほしいー生きづらさ研究室」などがある。
例えば、そんなプロジェクトに参加して実践し、様々な価値観や経験、視点を持つ人達と話すことで良くも悪くも気づきがある。
自分では普通にやっていることが「それすごいことだよ!」と言われて初めて自分の才能に気づいたり、あるいは出来ないなりにやりながら「できる」に変えていくことも出来る。
逆に、どうしてもできないことは誰かに頼むことで、その分自分の時間を作ることも出来る。
一人で出来ることには限りがある
どうしても、一人で全てやらなくてはいけないと思ってしまいがちだけど人間はそこまでハイスペックではない。
抱えきれる範囲は人それぞれで、広く浅くスピーディーにできる人、狭く深く、その代わりに猛烈な熱量で進んで行く人など様々いる。
自分の得意と不得意に気づくことができて、それが誰かと合致したら歯車は回り始める。
今はどうだろうか。
自分がやらなくても良いことを必死に頑張ったり、こうでなくてはいけない、ここまでやれなくてはいけないと努力の方向が違っているような気がしている。
人は凸凹しているから、違うから人が手をつなげるのであって同じであれば単なる足し算であって成長はない。
かける事によって、0になったり100になったり変化が起こる。
組織の在り方の一つの方法として、コミュニティエンパワメントというキーワードがある。
エンパワメントとは、元気にすること、力を引き出すこと、きずなを育むこと、そして共感に基づいたネットワーク化です。
当事者や当事者グループが、十分な情報に基づき意思決定し行動できるよう、サポートしたり環境整備することがエンパワメントです。和訳は、きずな育む力(絆育力)、活き活き生きる力(活生力)、共に創りあげる力(共創力)、などがあります。エンパワメントの原則は下記の8点です。
出典元:エンパワメントとは
(1) 目標を当事者が選択する。
(2) 主導権と決定権を当事者が持つ。
(3) 問題点と解決策を当事者が考える。
(4) 新たな学びと、より力をつける機会として当事者が失敗や成功を分析する。
(5) 行動変容のために内的な強化因子を当事者と専門職の両者で発見し、それを増強する。
(6) 問題解決の過程に当事者の参加を促し、個人の責任を高める。
(7) 問題解決の過程を支えるネットワークと資源を充実させる。
(8) 当事者のウエルビーイングに対する意欲を高める。
エンパワメントコミュニティとは、もともとは医療など保健サービスにおいて、当事者の支援をどのようにしていくかという研究の中で提案されたコミュニティづくりなのだが、いかに「主体」性を持って各自が関わるかによって、例えば行政まで動かしていくような活発な組織を作ることが出来る。
日々の活動において保健師は,地域づくりにつなげるために,健康づくりグループの立ち上げや,地域内のグループ同士をつなげる支援,行政他部門との連携など,多様な活動を展開している。しかし,現場では,住民組織活動の停滞や力をもつ住民とのつきあい方に悩み,地域づくりに困難を感じている保健師も多いように思う。一方で,地域づくりの先進地では,住民自らが地域の課題を認識し,その解決のために行動をしている。このような地域や住民の状態をあらわす概念に,コミュニティエンパワメントがある。コミュニティエンパワメントの概念は,地域で住民主体の活動を推進し,地域社会の変容をめざす保健師に多くのヒントを与えるだろう。
引用元:コミュニティエンパワメントと保健師活動
大本の考え方としては看護分野における活動を維持する手法の一つなのだが、これは地域に置き換えても同様のことが言えると思っている。
どうしても、コミュニティは出来上がっては衰退する。
そのなかでメンバーがテーマの共有を持ち、評価をし、コミュニティの鼓動をうち、関わる意義を明確にして成果ではなく過程に焦点をあてるのがエンパワメント。
これは、体系化するとどんなコミュニティにも適応できる。
所属しないコミュニティの必要性
前の記事にも書いたリーダー不在のコミュニティづくり。
自ら課題を設定し、評価を他人に委ねない。
主体的に関わることで、成長する。
これは、従来のコミュニティのように何かに所属しないと動けないという人には向かないかもしれない。
最初の先導や思いの普及には広告塔となるリーダーは必要だが、それを継続したり維持したりするのには個人それぞれを高める必要がある。
先にあげた本拠地で動いているプロジェクトへの関わり方については、強制はしていない。
活動していく上で、月によって、日によって、生活スタイルの変化によってかけられるパワーバランスもその都度変化していくし、それは本拠地を運営する私たちだって同じ。
ただ、場を提供したり人の支援をする側としては多少無理だってするときもあるけど、それは結局好きでやっているので、私たちと同じようにやらなくちゃいけないというわけではない。
できる人ができる時にできる事。
得意と不得意をつなげて、出来るに変えるのが本拠地コミュニティの役割だ。
女性と男性の関わり方の違い
チャレンジする場や機会は作るけど、それに乗るか乗らないかは人それぞれ。
ただ、飛躍的に成長していく人はそう言ったチャンスには真っ先に乗り込んで行き、その分失敗もたくさん経験するけどきちんとそれを糧にしていく。
男性と女性それぞれ、本拠地に期待することは違う。
女性は、社会との繋がりや成功経験を積むために。男性は、会社以外での活躍の場、スキルのアップによってより権威性を持つために本拠地に関わり、活動する。
その自己実現の先には、究極の欲求であるという「自己超越」がある。
それは、金銭や自己承認といった欲を超える慈愛の精神。誰かの欲を満たしたり、自分の欲を満たしたり、そういう次元を超えた想い。
本拠地は究極のチャレンジ&コミュニティ。
ここに関わることでその域まで成長することができたら、そんな人たちが行き交う街になったら「助け合いの精神」恩送りが普通になるのではないかと思っている。